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発展し続けるラスベガス

発展し続けるラスベガス

ラスベガス

 アメリカ西部がスペイン領だった1829年、ロサンゼルスへ向かう新たな交易ルートを探していたスペイン人キャラバン隊は、砂漠の中にあるオアシスを発見します。そのオアシスは、スペイン語で「草原」の意の「ラスベガス」と名付けられました。グレートベースン(大盆地)の中心がネバダ州となっており、州南端クラーク郡にラスベガスはあります。
 ラスベガス発見から百年後の1929年、世界恐慌が起こります。1930年のラスベガスの人口は5千人程でした。1931年、復興のためフーバーダムがクラーク郡に建設されると、ラスベガスにも労働者が多数移住して来ます。この年、経済活性化と税収確保のため、ネバダ州はギャンブルを合法化します。
 第二次世界大戦開戦後の1941年、安い電力供給のあるラスベガスにネリス空軍基地が設けられ、市内には軍需産業も発展していきました。それでも観光資源に乏しかったラスベガス市は、大規模な展示会誘致による知名度アップと通年での消費拡大を図り、1959年、ラスベガス・コンベンションセンターを完成させます。
 1970年、ラスベガスの人口は12万5千人になります。1980年代後半からは、客室数1,000部屋を越える大規模リゾートホテル運営のカジノが、ラスベガスに展開されていきます。1989年にミラージュ、1990年エクスカリバー、1993年には当時で世界最大客室数5,005部屋のMGMグランドがオープンする等メガホテルが多数樹立、ラスベガスの客室数は現在も増加を続けています。
 郊外への大型ホテル進出に伴い、旧市街地であるダウンタウンの衰退が著しくなったため、1994年、ラスベガス市と地権者で設立した第三セクター会社は、密集していたこの地を再開発し、ショッピングセンターやリゾートホテルを建てます。翌年には、フリーモントストリートに7,000万ドルかけ、高さ27m、長さ450mのアーチ型アーケードを設置して、天井を迫力ある音響と映像で演出するフリーモントエクスペリエンスを完成させました。以来、ダウンタウンは、ラスベガス観光の中心地となり、家族で楽しめる要素が一層増したのです。
ラスベガス観光の中心地 フリーモントストリート
ラスベガス観光の中心地 フリーモントストリート
 現在、ラスベガスには多くのコンベンションセンターが建てられ、世界最大規模の国際展示会が頻繁に開催されています。その代表的なものである家電のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)は、期間中15万人以上の来場者を集めています。コンベン
ションシーズンになると、どこもホテルは満室で、宿泊料金も値上がりします。ラスベガスでは、毎年、そして1年に何回も万国博覧会が開かれているようなものです。
 2003年のラスベガス市の人口は53万5千人で、最近の人口増加率から計算すると、今後、20年以内に100万人以上の都市になる勢いです。ラスベガスは、今や「草原」ではなく、世界の観光・ビジネスの最先端都市なのです。

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